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研究所の歩み

「風格ある磐周教育の創造」をめざして
1 磐周教育研究所のあゆみ
 昭和38年「磐田教育会館設立趣意書」に「・・昭和22年には磐田教育研究所の発足を見て、磐田市をかなめとして周辺地区の教育的課題を集約し地域的連帯感に立って、共同研究討論を起し、更に実践を通じて広く磐田地区市町村内の教育振興を図って参りました。・・」そして、 「日に新たに、日に進む今日、教育という大きな仕事の成果は、学校という教育の場のみによっ て得られるものではないことは勿論のこと、あらゆる教育諸団体の活動実践が交流融和して、 初めて達成できるものであることは、誰もが痛感するところである・・」
 さらに、「静岡県教育推進 の中で大きな貢献と役割を果たしておる大磐田にふさわしい教育会館を是非とも設立したいもの です。・・」と教育会館設立の願いが熱く語られている磐周教育研究所の前身である磐田教育会館は昭和26年10月、磐田第二中学校。(現城山中)跡地(現磐田北小附属幼稚園)に設置され、それまでは、磐田北小学校に事務局が置かれていた。
 続いて昭和40年9月には社団法人の認可を受けると共に、磐田教育会館建設の許可を受け、同年11月、磐田市中泉の府八幡宮南側に会館建設工事着工、昭和41年年6月に落成した。磐田・周智地区教育界は昭和43年4月に統合、「風格ある磐周教育の確立」を願い、様々な条件整備に努力し、規約、細則、運営要領等が改革された。昭和46年4月には定款が変更され、名称も「社団法人磐周教育研究所」と改められた。
 また、磐周教育会館・別館が昭和56年10月、磐田市国府台(現研究所の東側)に落成し、研修会が活発化した。しかし、さらに充実した研修所の確保は磐周教職員1,800余名長年の悲願であり、このことは磐周13の地教委関係者も賛同するところでもあった。これを受け、昭和62年3月新磐周教育研究所建設用地を取得、平成元年2月建設を決定した。
 とき、科学技術化、情報化、国際化が急速に進展する時代を迎え、研究所建設に当たっては、時代の要請に応えることができる設備の充実が叫ばれ、細部にわたって検討された。平成9年9月建設工事着工、平成10年3月念願の磐周教育研究所の新本館が落成し、引き続いて旧本館は解体された。現在、「研修・情報・福祉・文花」の四つのセンター機能を生かし、磐周教育の振興に向け、豊かな文化の発信を目指している。
   
2 磐周教育研究施設利用について
 研修室は11部屋(大会議室 120名収容)、視聴覚機器、インターネット等、情報化に対応できる設備も備えられ、現在、利用者は月平均1,000名余である。現職者、退職者、外部団体及び地域住民との連携を諮り、公益的な法人としての役割を果たす努力をしている。
   
3 磐周教育研究所の諸課題
 市町村合併による北遠地区(旧天竜市、春野町、龍山村、水窪町、佐久間町)との分離により、平成17年度は磐周教育研究所の財産分与の問題や新磐周地区の区割りの問題等について様々な組織で論議され、臨時総会で結論を得た。そして、教育研究会の組織・運営の見直しが図られ、細部に亘って検討が加えられた。
  
  法人法の改定に伴い、平成25年4月1日に一般社団法人となった。

   
4 同居団体の紹介
 (1) 磐周校長会等
 校長会を核に、教頭会、学校保健会、親和会の四団体の事務局 事務を職員二人で進めている。学校現場の苦悩から御近所のお宝情報までが飛び交い、充実した毎日である。
 (2) 静岡県教職員互助組合磐周支部
 組合員の健康支援・経済支援・いきがい支援に向け、相互扶助を基盤に事業を行ってい る。磐周の組織力が事業推進の源。事業への参加や退職会員の療養費請求手続きの窓口にもなっている。
 (3) 静岡県教職員組合磐周支部
 57分会、約1200名で組織された磐周支部は、豊かな教育実現と教職員が心身とも豊かに働くための職場環境づくりを目指し、子どもを中心に据えた責任ある活動を今後も展開していきたい。
 (4) 磐周学校生活協同組合
 開業以来五十有余年、磐周地内くまなく児童生徒の教材教具の供給に努めてきた。今後も教育諸団体との連携を密に、よりよい教材教具の提供に努め、磐周教育充実のために寄与したいと思う。